★   ★ 「しかし、まあ——あの運転士、高峰が犯人だってのは、それなりに納得がいったんだけど、しかし、どうしてりすかにはそれが分かったんだ?先頭車両の運転席がベストな位置なのは確かにその通りだけど、それが『犯人』は二番ホームにいなかったって証拠になるわけじゃないだろう?」 「うん?」りすかは答える。「ん……まあ、そうなの」  さすがにもう魔力《けつえき》は使い果たしてしまったらしく、りすかは警察病院からの帰りは『省略』できず、ぼくと一緒に、並んで、こっそりと病院から抜け出て、最寄の駅に向かっていた。今回の発端である新木砂駅も通っている、その沿線の駅だ。りすかは、十歳の姿に戻っている。元の姿というだけでない、絶対的な意味での十歳の姿に。三角帽子とカッターナイフ以外は、二十七歳だったときの面影《おもかげ》はまるでない。帽子もぶかぶかだ。時間の解呪《キャンセル》。十七年後、こいつはあんな美人さんになるのかと思うと、ぼくとしては思うところがないでもないが——まあ、そんなことは、別にどうでもいい。この、手錠をしゃらんしゃらんと鳴らしながら歩くりすかも、圧倒的に他人を見下す時間の女王『赤き時の魔女』のりすかも、どちらも同じ水倉りすかであることに違いない。二十七歳までにあそこまでも魔力を所有することを義務付けられているりすかには同情を禁じえないが——それだって、今のぼくには、別にどうでもいい話だ。無駄を一つ消しただけ——それでも、今回の『仕事』は、意味があったと思う。しらみを潰すためには、やはりしらみつぶしにするしかないのだ。『風使い』——手に入れば手に入れておきたかった駒だけれど、その使い手があんな小物じゃあ、やはり使えない、だろう。となると、高峰に魔法を教えたのが誰かという問題だけが残るのだが——何の証拠もないけれど、高峰が『赤き時の魔女』の称号を知って、しかもそれを警戒し病室内に式を描いて待ち構えていたことから考えると、やはり——しかし、たとえばそうだったとして、どうして彼は——水倉神檎は、そんな真似をするのだろう?どうせ使いこなせもしない駄人間に、魔法を与えてどうしようというのだろうか——そして彼は、己の娘が己を追っていることに、気付いているのだろうか——気付いているのだとすれば—— 「時刻表、なの」 「うん?」  りすかは、ぼくの心配などよそに、大して興味もない先にした質問に、答を返してくれた。今なんて言った?時刻表? 「キズタカが持ってきてくれた時刻表。時刻表のコピー。結局のところ、キーだったのはそれなの」 「よくわからないことを言うね」 「いや、まあ——これ教えると、キズタカ、怒っちゃうかもしれないの——そうでなくとも、落ち込んだりするかもしれないから」 「ぼくが?そりゃどういう意味だ?」 「——ま、これこそ論より証拠なの。そうね、今日は日曜日だったし……ちょうど、時間もいい頃合だし……行って見るの」 「行く?どこへ?」 「新木砂駅なの」  よく分からなかったが、ぼくはりすかに従った。最寄り駅まで行って、佐賀に帰るためには逆方向、新木砂駅へと向かう。二番ホームに下りた。電車の運転席を除けばベストポジションであると指摘された乗車ロヘと、りすかは移動した。「ここだったよね」とぼくに確認する。ぼくは頷いた。 「ねえ、キズタカ」 「うん?」 「大人になんか、なりたくないの」 「うん?何の話だ?いきなり」 「大人になったら、つまらないって話なの。あの、高峰さんの話じゃないけど、世の中にはつまらない大人ばっかしで——わたしの、お父さんにしたって……」 「だが、大人になれば力は手に入るぜ」 「…………」 「りすかもそうだけど——ぼくだって、そうだ。今はできないことが、大人になればできる」 「それでも、わたしは大人になりたくない」 「……わかんなくも、ないけどね」ぼくはりすかに頷く。十七年後の、あのりすかの性格。好戦的で、まるで周囲を顧《かえり》みない、独善的性格。だがあれは象徴的なものであって、多かれ少なかれ、誰だってあんな風になる。それがリアルに理解できてしまうりすかは——己の使用する魔法に対してはあまりにも皮肉、『成長』を嫌ってしまうものだろう。「でも、ぼくは『力』が欲しい。全てを支配するだけの力が。彼らは愚かだからこそ——ひょっとしたら本当は生きる資格がないほどに愚かかもしれない、だからこそ、ぼくのような人間が、絶大なる『力』をもってして、支配してやらなくてはならない」 「……見解の相違、だね」りすかは言う。「……犯人を運転士と断定したのは、単純な消去法なの。魔法式を作動させるためにはあの現場のそばに『犯人』がいなければならない——けれど一番ホームでは様々な障害があって無理、そして二番ホームでも無理。そうなれば、自然に解答は導き出せたというわけなの」 「いや、待てよ。二番ホームに犯人がいたって説は、別に否定されてないだろ」 「無理なものは無理なの」りすかは言う。カッターナイフを取り出して、『きちきちきちきち……』『きちきちきちきち……』と、出し入れする。「現在六時二十分……か。問題の電車が来るまで、あと十二分だね。日曜日だから、時刻も同じ——と」 「はっきり言えよ。煮えない奴だな」 「キズタカ。一番ホームに行って、あそこに立って」りすかは正面の一番ホーム、その乗車口を指差す。先週、ぼくが立っていたその場所だ。「あそこからわたしが見えるかどうか、試してみて欲しいの」 「……いいけどさ」  言われるままに、階段を登り、階段を降り、反対側の一番ホームに到着するぼく。ホームを移動して、線路を二本、レールを四本挟んだその先に、りすかの姿を求める。その赤い姿はすぐに見つかった。赤という色は、基本的にどんな遠くにあったところで人間の眼でその色の種類を判断できる、唯一の色だ。だからパトカーのサイレンなどの警戒色には赤色が使用されるのだ。同じ理屈で、ぼくはほどなく、向こう側にりすかの姿を発見した。そうそう、この乗車口だ。ここで、ぼくはことの一部始終を目撃したのだ。 「えっと……りすか?」声をかけるも、こんな大きさではあちらのホームまでは届かない。「りー、すー、かー?」  ぶんぶんと、りすかは手を振った。ぼくを認識したらしい。そうだった、りすかはあまり目がよくないから、この距離では声が聞こえない限りぼくが分からないのだ。ましてぼくは赤い服を着ているわけではない。……ということは、あれか?二番ホームからでは犯人は遠くて『事実』の目撃ができなかった——とでも?しかし、高峰幸太郎がどうだったかはともかくとしても『犯人』、その時点では正体不明の『犯人』の視力など、測るべくもないだろう。それとも『魔法』を使う者は視力が落ちるという、統計的な結果でもあるのだろうか? 「ねー!キズタカー!」  向こうのホームから、りすかが叫んだ。 「楽しかったのは、今日だったねー!」 「……まあ、それなりにね」 「えー!聞こえないー!聞こえないのが、キズタカの声なのー!」 「それなりに、ね!」  ぼくも、りすかに倣って、声をあげて叫んだ。さすがに昼間とは違う、ホームにはそれなりに人がいる。少しばかり、ぼくにも恥ずかしい気持ちがあったが、まあいい。どうせ周りの連中は、馬鹿な小学生達が戯れているとしか思っちゃいないだろう。ものを考えることもできない頭部を貼り付けた下等生物の視線なんか、気にする、ことはない。この程度の連中に何と思われたところで、どうでもいいさ。どうせ連中、人を見る眼なんて持ち合わせちゃいないんだからな。常識を抱いて死ぬがいい。 「それなりに楽しかった、って言ったんだよ!」 「もっと楽しいのが、明日だったらいーね!」 「楽しいさ!」ぼくは自信たっぷりに答えた。「もっとどきどきさせてやるさ、このぼくが!約束は守る、りすかの人生に潤《うるお》いを与えてやる、目的を!りすかの親父さんだって、ぼくがいずれ見つけてやる!長崎だって、いずれぼくがあんな『城門』とっぱらってやるさ!だから——」  だからもうしばらくの間は、大人しく、ぼくの駒でいて欲しい。手に余ろうがどうしようが、今のぼくにはとにかくりすかが必要なのだから。そう言おうとしたところを遮るように、「うん!」と、りすかは、にっこりと笑った。 「だからずっと!友達でいよーね!」 「………………」、  その台詞に——言葉を失ったそこに、駅構内に、放送が鳴り響く。『二番線に列車が参ります——』と、あのお定まりの放送が、流れた。ぼくはりすかに対し、何か——とにかく何か、反論や、弁明めいたものを、口にしようとしたが——ぼくがいくら大声を張り上げたところで、どうせその放送で遮られるだろうから、やめた。ふん……まあ——なんとでも、思っていればいいのだ。ぼくのことを駒と思っていようがそれ以外の何かだと思っていようが、それはりすかの勝手である。ぼくが、ちゃんと、りすかを駒だと思っていれば——そう認識さえしていれば、それでぼくはりすかを、『使える』のだから。とりあえずりすかに引っ付いていれば——通常よりもずっと、『有用』な人間、魔法使い非魔法使いを問わず、色んな人間と会える。そのメリットは計り知れない——だから、ぼくのことをなんと思っても、それはりすかの自由というものさ。ぼくは寛容だ、そのくらいの自由は与えてやろう。と、そこに——『一番線に列車が参ります——』と先の放送と輪唱するように、重なるように、そんな放送が——こちら側のホームで、鳴り響いた。輪唱——?そうだ、そういえば、あのときも——『——危険ですので——』『危険ですので——』『——黄色い線の』『黄色い線の——』『内側まで——』『——内側まで』『——お下がりください——』『——お下がりください——』——あのときも!輪唱!ぼくは時計を確認する。六時——六時、三十二分! 「——りすかっ!」  ぼくは顔を起こし、りすかを確認しようとしたが——もう、それは不可能だった。二番ホームには——もう、車両が、速度を伴って入ってきていて——その車体が、壁になってしまって——ぼくは、りすかの、あの赤い姿を、目視することが、できなかった。 「……あ、あ——」  している内に一番ホームにも電車が一瞬遅れで、入ってくる。進行方向が逆で、この位置だから——時刻表に記載されている時間が同じだったところで、一瞬、こちらの側が遅くなるわけだ。成程——これなら、確かに、二番ホームから——『事実』の瞬間を『目撃』することは——不可能だ。先頭車両が、ぼくの前を通り過ぎた。線路に飛び込もうなんて気は微塵も生じなかった。そんなことをするはずもない。ほどなくして、また、輪唱が始まる。『二番線の——』『一番線の——』『列車が——』『列車が——』『発車し——』『発車し——』『ます——』『ます——』。向こうの電車が、少し早く動き出す。先頭に並んでいるぼくが電車に乗らなかったので、後ろにいた駄人間達がぼくを避けるように、車内へと乗り込んだ。ドアーが閉じて——こちらの電車も発車する。がたんがたんがたんがたんがたん—— 「りすかっ!」  ぼくは再び、そう呼びかけたが——向かいのホーム、ぼくの正面には——誰もいなかった。そこから何かが『省略』されてしまったかのように、もうそこには誰もいなかった。今さっき向かいのホームで電車を降りた人達が、変な名前を叫んだぼくに一瞬だけ注目したが——すぐに、自分の時間へと、彼らは帰った。ぼくは何だか、してやられたような気分で、右手で頭をかく。怒っちゃうか——落ち込んじゃうか。確かにそうだな……いくら目の前には人の壁があり、その壁であった四人が五体ばらばらになったとはいえ——そして、それから一週間が経過してしまっていたとはいえ——向かいの電車の存在を、忘失してしまっていたなんて。『魔法』の事件だと思って、ぼくとしたことが不覚にも焦ってしまったか。いや、自分が疑われるかという焦りが——いや、全部、言い訳だ。やれやれ、これからは人間だけでなく、無機物もしっかりと観察することにしなくちゃな。無機物の使い方も、これを機会に勉強してもいいかもしれない。そんなことを思いながら、ぼくは自分の左手を見た。ぼくの左手。数時間程度しか経過していないから仕方のないことだが、まだなじみきっていない親指が不自然な左手。その不自然な左手が、にたりと、嘲《あざけ》るように、笑った気がした。  さもありなん。  今や半分以上、ぼくの身体はりすかのものだ。 《Subway Accident》is Q.E.D.         小説現代10月増刊号 ファウスト 2003 OCT Vol.1